廃墟マニアの“聖地”となっていた宮城県大崎市にある遊園地「化女沼レジャーランド」
よごれん / Via geocities.jp
この度、所有権が他者に移ることがわかった。
同園は1979年に開園。園内には、遊園地や温泉、コテージなどがあり、最盛期には年間30万人が訪れていた。
しかし、バブル崩壊のあおりを受け、2001年10月に閉園した。
夢、叶わず…
同園の運営会社の後藤孝幸社長は閉園後も、「化女沼を一大観光地に」の夢を追いかけていた。
閉園後も施設内の遊具などはそのまま残し、日本唯一の“廃墟テーマパーク”として再スタートを目指していた。そのため一切の施設や土地の売却を拒んできた。
しかし、買い手が見つからず、2月末をめどに所有が他者に移ることになった。
今後についてはまだ不明だが、産業地になる可能性があり、見学は不可能になる。取り壊しの可能性もあるとのこと。
「団子の恩返しのために…」
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後藤社長は昨年6月に転倒して膝を骨折。杖が手放せない状態になってしまった。
高齢ということもあって、買い手探しや、見学会の管理などを廃墟マニアの鹿取茂雄さん(@yogoren)に一任していた。
鹿取さんは同園を度々訪れていたことから、後藤さんと親交が深くなり、任されるようになった。
鹿取さんはBuzzFeed Newsの取材に話す。
「せめて温泉だけでも活用してほしかったのですが、それも難しい状況です。非常に残念な結果になってしまいました」と肩を落とす。
「廃墟好きを受け入れてくれた後藤社長には感謝しかありません。毎回、参加者へ資料を配り、団子とお茶まで振舞ってくれました。廃墟マニアが所有者に歓迎されることなんてありえないです」
廃墟は、放火や破壊の危険性があるため、ファンに向けて一般公開することは珍しい。
期待に応えようと鹿取さんは、自らの仕事の傍ら、買い手を探したり、時には自ら売り込みにも行ったりした。
「報酬はあのときの団子です。絶対に恩返しをしたかった」と鹿取さん。
化女沼レジャーランドよ、永遠に。
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これにあたり、2月19日に「お別れ会」があった。その目で最後を見ようと120人以上の人が集まった。
そこには廃墟マニアだけではなく、かつて化女沼レジャーランドで遊んでいた地元住民も多く駆けつけた。
「当時、子どもだった人たちが、時を経て自分の子どもと楽しんでいる光景は、とても感慨深いものでした」
▲園内には子どもたちの声が溢れ、「さながら本当の遊園地みたいでしたよ」と鹿取さん
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最後に鹿取さんは話す。
「なにか恩返しをしないといけないと思い、ここまでやってきましたが、結果的に(買い手が)見つからず、申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「みなさんが盛り上げてくれたおかげでプラスになった部分もたくさんありました。ありがとうございました。本当に感謝しています」
先述のように今後、化女沼レジャーランドがどうなるかはわからない。しかし、その様子を見守ることもできなくなってしまった。
開園時から多くの人々を楽しませ、閉園後もたくさんの人たち愛された化女沼レジャーランド。
たくさんの人々に見送られ、最後を迎えた。
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